顔と山

7時ごろ起床、洗濯した後『片岡珠子展』を見に東京国立近代美術館へ。

解説に、「落選の神様」と自嘲してた時期の後、小林古径片岡球子に言った言葉

「今のあなたの絵は、ゲテモノに違いありません。
 しかし、ゲテモノと本物は、紙一重の差です。
 あなたは、そのゲテモノを捨ててはいけない。
 自分で自分の絵にゲロが出るほど描き続けなさい。
 そのうちに、はっといやになってくる。
 いつか必ず自分の絵に、あきてしまうときが来ます。
 そのときから、あなたの絵は変わるでしょう。
 薄紙をはぐように変わってきます。
 それまでに、何年かかるかわかりませんが、
 あなたの絵を絶対に変えてはなりません。」

が書かれていて、何となく安田靫彦小倉遊亀に言った

「自分を出そうとしなくても、見た感じを逃さぬよう心掛けてゆけば、
 その都度違う表現となって、いつのまにか一枚の葉っぱが手に入りますよ。
 一枚の葉っぱが手に入ったら、宇宙ぜんたいが手に入ります」

と、おそらく近いことを言ってるんだけど、表現がずいぶん違うなと感心。
作品では『緑蔭』(1939)、『初夏』(1956)、キービジュアルにもなってる『面構 足利尊氏』(1966)が印象深かった。

その後常設展へ。土田麦僊の『舞妓林泉』と小倉遊亀の『浴女 その一』という東近美収蔵作品で二大好きな作品が展示されてて得した気分に。他にも川瀬巴水の富士山を描いた精細な新版画や大阪万博に関する展示とか楽しめました。
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その後神保町でティアズマガジンとまんが買って会社へ('A`)
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最近買ったまんが

いないときに来る列車

いないときに来る列車

粟岳高弘の『いないときに来る列車』。2006年から12年にかけての同人誌に掲載された作品と、雑誌に掲載された作品1本と書き下ろし1本が収録されてます。ほぼ全ての作品が『鈴木式電磁気的国土拡張機』や『たぶん惑星』と変わらない、昭和50年代の日本の田舎的な場所を舞台にしたセーラー服やスク水の女の子が出て来るSFというぶれの無さがすごいです。